2009年01月26日

昔の手紙より。

整理せずに放置してた年賀状の類をせっせとファイリングしてた時、
見つけた手紙。

消印は(平成)10年3月16日。
私が中学の卒業した頃に届いたハガキ。

はっきり覚えてないけれど、2つ年上の先輩?
高2になって、後輩全員に出したんだろうか。

中学時代の人とは(同級生すら)今は全く連絡を取っていないし、
もう先輩の顔も人柄も全く思い出せないけれど、読んでいてふっと
温かい気持ちになったのは何故だろう。

この手紙以外、その後、この先輩から何か連絡があった
わけではないのだけれど。

続きを読む
posted by ルゥ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2009年01月10日

運試しで。

ちょっとした思いつきで、この本のページをめくってみました。
今年の運試しをしたいなと思いながら、どこを開くかしばらく
手探りで探りつつ。

そうしたら出てきたのがワンドの3



あなたの道は間違っていません。

価値ある結果を得られます。

あきらめずに歩み続けること。




ちょうど、先日の御神籤の結果に近いものがあり、
ちょっと運命的なものを感じました。

一番、今欲しかった言葉をもらえたと思います。
自分の進もうとしてる道がこれで良いのか、ちょっと迷っても
いた時期だったので。

今年こそ、願う結果を得られるよう、できる限りの
努力をしようと思います。
posted by ルゥ at 01:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2009年01月02日

2009年の御神籤

願望 手間取るが叶う
学業 落ち着いて励め
方角 南よし
商売 買い入れ吉
争事 負けても利あり
転居 急ぐと災あり
待人 来るが遅し
失物 高い所より出る
旅行 急がぬが吉
縁談 人とよく相談せよ
開運色 水色
病気 気長に保養せよ


全体運は29番の中吉でした。

私の願望と言えば・・・。
果たして今年、叶うのだろうか。
posted by ルゥ at 16:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2007年08月04日

結婚とは

「一緒にいたくない時も二人でいるのが結婚。
 それに慣れるまでが新婚」

日経プラス1の15面より。
「ニッポン適量考」の「新婚」っていつまで
という記事の最後より。

東京学芸大の教授の言葉だそうですが、そうかも、と思いました。
最近は結婚前に同居するなど、二人ですることを一通り経験してから
婚姻届を出すカップルも多い、とのことでした。

うちもご多分に漏れず、当てはまってますね〜。
“結婚”する頃には、いつでも一緒にいられる二人になってるんでしょうか。
posted by ルゥ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2006年12月03日

見守る、ということ。

アニメのNANAを見てたら、じーんと来てしまった台詞とモノローグ。
原作だと8巻の185〜187p。
「大丈夫 ちゃんとやれる
 普通の友達付き合いってのは やっぱよく分かんねえけど
 ハチがどんな人生を歩こうと 干渉せずに優しく見守るよ
 あんたがあたしにそうしてくれるみたいに」

「口で言う程楽じゃねえぞ?」

ごめんねヤス ありがとう
大丈夫 上手くやるよ
だってあたしとハチは 女同士だから
でも
だからこんなにもどかしいのかな


干渉せずに優しく見守る。
親しい人には干渉せずにはいられない性分な私には、
それが一番難しいことなのかもしれない。

でも、もしあの時それができていたなら。

そう思うとちょっと泣きそうになる。
覆水盆に返らず、なのは重々承知しているのだけど。
posted by ルゥ at 20:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2006年11月29日

一緒にいる、ということ。

28日の夜にラジオドラマを聴いてたら、
ちょっと自分の心情にシンクロするところがあったので、
原作から引用してみました。

村山由佳著『おいしいコーヒーのいれ方5 緑の午後』より。
一緒に暮らしてる勝利が、いつか家を出たいという話を聞いた後の、
勝利とかれんの電話での会話です。(ジャンプJブックス版、p181〜182)

「考えてみなよ」と、僕は言った。
「誰にも邪魔されないで済むんだぜ?それこそ、こんなふうに夜中になってからこっそり話さなくていいしさ。お前が学校の帰りに寄ることだってできるわけだし、休みの日は一日じゅうでも一緒にいられる。この家にいて、おばさんたちにバレるかなんてビクビクしてるより、ずっといいと思うんだけど」
(略)
僕がベッドから起き上がりかけた時、ようやく、かれんが長いため息をつくのが聞こえた。
『わかった』と、彼女は言った。『ショーリの言うことは、いつも正しいものね。きっとこれも、ショーリの言うとおりなんだと思う』
ちょっとしたトゲみたいなものを感じなくもなくて、僕は黙っていた。
『あのね』と、やがて彼女は言った。『この部屋に、いるでしょ?』
「え?」
『ふだん。この部屋にいるでしょ?』
「……うん」
『下で、ショーリと丈が冗談言い合ってる声とか、ごはん作ってくれてる音とか、するでしょ?』
「……うん」
『ショーリの部屋のドアが、開いたり閉まったりする音が聞こえてきて、あ、お風呂に入るのかな、とか、あ、もう寝るのかな、とかね』
「…………」
『うまく言えないけど、私……そういうふうな、おんなじ家のどこかにショーリがいるんだっていう気配みたいなのが、すごく好きだったな……』
言葉の終わりが、ほんの少しだけ滲んで聞こえたような気がした。
ちょっと状況は違うけど、最後の方のかれんの台詞は共感しました。
同じ家(部屋)にいるんだな、っていう実感。
そういうささやかな事実が、とても幸せな気持ちにしてくれる時もあるんですよね。

いつかまた、元に戻れる日は来るのかなぁ……?
タグ:村山由佳
posted by ルゥ at 21:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2006年09月21日

強くなるには。

どんなことも
ちゃんと受け止める!

強くなるんだから
ちゃんと
傷つかなきゃ!

紳士同盟†(クロス)第5巻 21話より。

強くなるためには、傷つかないといけないんだろうか。
傷つけば、強くなれるんだろうか。

受け止めようという思いは、確かにあったと思うけれど。
結局私に見えたのは、受け止めきれない私の弱さだけ、だったような。

傷ついたし、とても苦しかったのは事実だけれど、
強くなった気があまりしない。
しでかした過ちだけが、ずっと心の片隅に居座り続けてる。

そんなことを思いながら、読んだフレーズ。
posted by ルゥ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2006年08月10日

翻訳って面白い

「君が望む限り、僕は君のそばにいるよ。」

この言葉を、英語に訳したらどうなるのかな、と
いろいろな翻訳サイトで試してみました。

I am by you as long as you hope.(Excite)
http://www.excite.co.jp/world/

There is me near you as far as you expect it.(Yahoo!)
http://honyaku.yahoo.co.jp/transtext
There is me near you as far as you expect it.(Infoseek)
http://www.infoseek.co.jp/Honyaku?pg=honyaku_top.html

As long as you wish, I am near you.(livedoor)
http://translate.livedoor.com/
As long as you wish, I am near you.(OCN)
http://www.ocn.ne.jp/translation/
As long as you wish, I am near you.(@nifty)
http://tool.nifty.com/globalgate/


If you desire, as for me it is in your side. (Google)
http://translate.google.com/translate_t
If you desire, as for me it is in your side.(World Lingo)
http://www.ocn.ne.jp/translation/

それぞれ、微妙に訳し方が違って面白いです。

英語・中国語・韓国語以外の言葉も翻訳できるのが、
livedoorやWorld Lingo。
後者は時々フランス語やドイツ語で使ってました。

面白かったのはInfoseek。
「関西弁」なるチェック項目が…!!

「あんはんが望む限り、わいはあんはんに近いや。」
→「As long as you wish, I am near you.」の訳。
なかなかすごいものを開発する人もいるんですねぇ(笑)
posted by ルゥ at 21:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2006年07月16日

ただ、痛かった

『ハチミツとクローバー』7月14日放送分より。

「真山の目に映るこの人は、どんな姿をしているのだろう
 この肩に、この白い頬に触れたいと、
 胸を痛めて見つめているのだろうか
 その時、真山の胸は、どんな音を立てて軋むのだろう
 どんな想いで、あのオフィスにいるのだろう
 ずっとずっと、二人きりで」


「やっぱ行くのか、理花さんのところ。馬鹿だなぁ、お前。泣くぞ。
 わざわざあいつらの一緒にいるところを目に焼き付けに行くんだからな
 でも、そうでもしなきゃ思い知れないんなら、行くがいいさ」 


「あなたが他の人をどれほど大事にしていてもぽきんと折れず、
 生きていけるように
 真山がもしあの人を想って 不安そうにする表情を見ても
 私の心がぐしゃってつぶれないように」

「教えてなんか、やらないんだから……
 真山の、ばかーっ!!」

なんか、見ててボロボロと泣いてしまった。
山田さんってちょっと私に近いかもしれない。
この自虐的な思考や行動っぷりが。

考えなければいいのに考えて、傷ついて泣いて。
しなきゃいいのに、自分にわからせるために動いて、
やっぱり後で「しなきゃ良かった」と後悔して。

何か他人事に思えなくて、思いっきり感情移入してしまった。
私の弱い部分、そのままだな、と。

3回見て、3回とも泣いてしまった私でしたもうやだ〜(悲しい顔)
posted by ルゥ at 00:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2006年05月12日

切ない言葉

映画版「いま、会いにゆきます」より。
いいなと思った言葉を、DVDを観ながら書き留めてみました。

私そんなに立派な人間じゃないんです。
二人のことは心配だけど……巧が誰かといるのはやだ。
他の誰かを……他の誰かを愛するようになったらやだ。


でも、隣にいられるだけでもいい。
それだけで、ちょっと幸せ。

どんな女の子が好き?
私のことを好きになってはくれない?

何も言わないまま、遂にお別れの日が来てしまった。
どうしよう。どうしたらいいの。


あなたの手は、とてもあったたかった。


私の幸せは、あなたの隣にいることなのに。
ずうっと一緒にいたい。それだけなのに。
本当に、私達はこれで終わりなの?
私は会いたい。秋穂君に会いたい。
たまらなく会いたい。


私とあなたはずっと一緒なの。
そう決められてるの。
……好きよ。

とてもとても、一途な想いですね。
好きな人に会いたくて、ただそばにいたくて。
そんなささやかな願いが叶わないんだな、と思うと涙が出てきました。

その願いが叶っている私は、更に貪欲になってる気がして。
好きな人といつも会えているというのに。
今の幸せにちゃんと感謝しないとな、と思いました。
posted by ルゥ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2006年03月05日

今は春、と思い出したのは

中吊り広告の言葉でした。

去年見かけて、「心に突き刺さった」のを今も覚えてました。
http://www.recruit.jp/company/involvement/ad/graduate/2005/sakura/jpg_file
いつかどこかでリンク切れを起こすかもしれないんで、写しときます。
ウソつかない だからキズつく だからキズつける
ウソつかない だからスキ   だからキライ
ウソつかない だからクルシイ だからラクチン
ウソつかない だからタタカウ だからアイシアウ
ウソつかない だからイタイ  だからキモチイイ
ウソつかない だから

もっと もっと 迷っていい もっと もっと迷おうよ
だから ウソつかない じぶんに

これが去年の分。
ちょうどその当時の自分の心境にヒットしてたんですよねぇ。
そして今年の分は。
強いときの自分より、弱いときの自分のほうが、ほんとの自分なのかもしれない。
嘘をつく自分より、正直な自分のほうが、人を傷つけたりする。
疑ってる自分より、信じきってる自のほうが、なまけてるみたいだ。
だれかをおもう自分より、自分をおもう自分のほうが、だれかを幸せにできる気がした。

きょうの自分は、今だけの自分。
あしたの自分は、また、きっと違う。
自分をこわす。自分をつくる。
だれかと出会って、また、自分が生まれる。


答えは、ひとつじゃない。

文章の方向性が去年と同じ……?
でも言葉遣い(というか表記法)が違うし、考えたのは別人なのかなぁ。
1行目と2行目が今回は私の心にヒットしてしまいました。

特に2行目。
最近は嘘つきな自分だけれど、正直になったら母を傷つけてしまう。
でもバレたら傷つけてしまうのだから、結局は同じなのだろうか。

それから別に嘘をつかずとも、とも思いました。
正直というか事実は人を傷つけることもままあるんだな、と。

優しい秘密と痛い真実と、どちらかを選べと言われたら私はどうしよう。
今まで生きてきて1つ悟ったのは、私は「全てを受けいれる程強くない」ということ。
(括弧内はDo As Infinityの「柊」からの引用)

自分を守るために敢えて真実から逃げるのは正当防衛、なのかなぁ。
自分の弱さを煩わしく思いつつ、何とか克服できないものかと足掻いてる、のかなぁ。

でもその逆もまた然り……?
私にとっての真実は、誰かを傷つけてしまうのかもしれない。

この手の文章には、どうしてか惹きつけられる私でした。
posted by ルゥ at 23:34 | Comment(1) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2006年01月21日

コマンタレブー?

「のだめカンタービレ」の11巻82ページでミルヒーがのだめに
セクハラをしながら言った言葉、ですが。

時々、何かの折に聞く言葉ですね「コマンタレブー」。
これはフランス語で、スペルはComment allez-vous?です。

フランス語の教科書で、会話の最初の方で出てくる挨拶であり、
英語なら「How are you?」。
つまり、「お元気ですか?」とか「ご機嫌いかがですか?」という意味です。

comment(コマン←tは読みません)は「どのように」で
vous(ヴー)は「あなた」ですが、
allez(アレ)は「行く」という意味の動詞allerを活用したものです。

これに対する返事はVery good.なら、
Je vais très bien(ジュヴェトレビアン)です。

<薀蓄その1>
Comment vous appelez-vous?(コマンヴザプレヴー)で、
「あなたのお名前は?」という意味になります。
答え方は「Je m'appelle ○○.(ジュマペール○○)」 になります。
10巻の48ページでのだめが意味もわからず叫んでますね(笑)

<薀蓄その2>
vousは二人称の単数にも複数にも使えますが(英語のyouと同じですね)、
単数の場合だと、やや改まった感じになります。

単数でも家族や友人など、親しい間柄の人には「tu(テュ)」を用いて、
Comment allez-vous?ならComment vas-tu?(コマンヴァテュ)、
Comment vous appelez-vous?ならComment t'appelles-tu?(コマンタプレテュ)に。
(後者は確かこれでいいはず……ですがやや自信がないです)

Je t'aime.(ジュテーム)も親しくなってから、ですね。
vousだったらJe vous aimez(ジュヴゼーム)です。

<薀蓄その3>
授業ではComment allez-vous?の答え方で、他のヴァリエーションを習いませんでしたが、
辞書を引いてみたら幾つか載ってました。
「Comme ci comme ça.(コムスィコムサ)」
(↑略してcomme ça.でもいいらしい)で「まぁまぁ」。
「Tout juste.(トゥージュスト)」で「ぎりぎり」。
「Ni bon, ni mauvais.(ニボン,ニモーヴェ)」で「良くも悪くもない」。


以上、ロラン君じゃありませんが(笑)、ルゥの薀蓄講座?でした〜。
久しぶりに辞書とにらめっこしたりして、いい勉強になりました♪
posted by ルゥ at 21:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2005年07月05日

ふと見つけて書き留めたもの。

大きく変わると書いて「大変」
今、君が大変だとしたら、それは
成長してるからなんだ!!

(C)326 電車の中吊り広告(蒲郡競艇)より。

大変なことは1ヶ月に一度くらいは転がってる気がするんですが、
果たしてその後に自分が成長したのかしら、
と振り返ってみると何とも言えないような……(^^;)

人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心に欲起こらば、困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基(もとい)、怒りは敵と思え。
勝つ事ばかりを知りて、負くる事を知らざれば、害その身に至る。
己を責めて、人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

「実践型レファレンス・サービス入門」p108(漢字は改めた箇所アリ)より。

有名な家康の言葉ですね。
家康自身はさほど好きではないのですが、ふと今回言葉には少し惹かれました。
改めて全文を読んでみるとなかなか奥が深かったです。
何事も急いだら駄目なのかな、とか、ガマンも大事、とか。
「勝つ事ばかり〜」、は自分流に言い換えてみると、
「勝ち犬思考に走らないで、人の痛みを知ることも大事」ってところでしょうか。

ところで、これを実践できる人は家康みたいになるのかしらん。はてさて。
posted by ルゥ at 02:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2005年07月01日

問題な日本語

北原保雄編、大修館書店、2004年12月刊。

タイトルからして、正しい日本語じゃないという皮肉(ユーモア?)が面白いですね。
この手の本って割と断定的に「ここが違う」「正しいのはこれだ」
って書いてあるものが多いように思いますが、この本はちょっと違いました。

「好ましいのではないでしょうか」
「正しいと認められる日は近いかもしれません」
「問題になるのだと思われます」

割と、柔らかい文章になってますね。それが印象に残りました。
posted by ルゥ at 20:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2005年06月26日

中吊り広告から。

だって、逢いに行かなければ握手することも抱き締めることもできないじゃないか。

25日の帰り道、東山線の中吊り広告で見かけました。旅行会社のだったかな?
全部の車両がこの会社の広告になってて、それぞれいろんなフレーズが書かれてました。
その中でもぱっと見て、気に入ったんで携帯にメモってしまいました。
どうせなら写真にとっておけば良かったかな。また見つけたら撮るかもしれません。
posted by ルゥ at 13:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2005年06月25日

イタリア土産より

<その1>
Affofhiamo in un mare di baci, riemergiamo in un mare di passione.
We drown in a sea of kisses to resurface in a sea of passion.
Sumerjámonos en un mar de besos, salgamos a flote en un mar de pasión.
Mergulhamos num mar de beijos; saímos num mar de paixao
Nous nous noyons dans une mer de baisers, nous réemergeons dans une de passion.
(Anonimo)

和訳すると、「私達は情熱の海から浮上するために、キスの海に溺れる」?
上から二番目が英語、一番下に書いてあるのがフランス語ですね。
「nous」が「私達」、「baisers」が「キス」、「mer」が「海」
というのは辞書ナシでわかりました。passionは英語と同じですね(発音が少し違いますが)。
他は何語なのか不明です。ご存じの方は教えてくださると嬉しいです。

<その2>
Vivere è amare. La ragione è contro di esso, l'istinto è con lui.
To live is to like to love-all reason is against it, and all healthy instinct for it.
Vivir es amar. La razón se opone a ello, el instinto lo apoya.
Leben ist lieben. Das Verstand ist dagegen, der Instinkt ist dafür.
Να ζει? σημαιυει ν'αγαπα?. Η λογικη ειναι αντιθετη, το ενστικτο μαζι.
二番目が英語、四番目がドイツ語(でも意味はさっぱりわからない)ですね。

もう一つ文があったんですが、ギリシア文字で判読(というか入力)できないので省略。
どこかで一覧表を見つけたらまた書くかもしれません。

⇒そういえば「文字一覧」で入力できたんでやってみましたが、
一部わからない字があって、それは?にしてしまいました。

アクセント記号は省略した部分が何箇所かあります、すみません……。


英語の訳がうまくとれないんですが……。どういう構造になってるんでしょうねこの文?
生きることは、みんなを愛する理由が?こんな英語力じゃまだまだ、かなぁ……。

日記に戻る


その1

その2
posted by ルゥ at 21:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2005年03月19日

言語の役割とは

 日常的な生活では、われわれはふつう言語は思想の表現、伝達の手段であると思っている。つまり、思考の主体はあくまでわれわれ人間にあり、言語の役割は人間の考えたことを文字通りおもてに表すことにすぎないと思い込んでいる。しかし、すでに見たとおり、われわれのものの見方が実は言語に左右されているというような面もあるわけである。しかし、それをわれわれは特に意識していないわけである。もしそうだとすると、言語は人間にとって単なる手段であるどころか、人間を支配するものとして大変な力を持った存在であるということになる。そして、言語が違えばそれに応じてものの見方も変わってくるのであるから、外界の対象や出来事についてのわれわれの解釈はすべて相対的なものであり、その間に喰い違いがあってもどれが正しいなどとは言えなくなるわけである。
(池上嘉彦「意味の世界」 予備校のテキストから引用)
言われてみればなるほど、と思う。
無意識のうちに使ってるものは、実はとても大きな役割を果たしていた、というところなのかな。
自分の紡いでる言葉は果たしてどう見られてるんだろうな。
日本文学にも図書館にしても(というよりは本当は人間として生きる以上)、
言語は切り離せないものだな、とふと思った。
posted by ルゥ at 23:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

他者の痛み

 他者の痛みは私によっては感じられない、私によっては検証出来ない、ゆえに他者の痛みについての言述は意味をもたないという学術的主張は、たしかに明証性を真理の基準とする限り認めざるを得ないであろう。
 少なくともいい得ることは、他者の受苦事態は検証出来ないとしても、他者の受苦についての私の意識そのものは明証的であり得るということである。
 それでは他者の痛みは、行為主体の限界外、到達不可能で蓋然的な、それゆえに語り得ないものとして沈黙すべきなのだろうか。
 厳密性のみをすべての領域において例外なく要求するとすれば、他者の痛みについての言述は、確かに控えねばならないであろう。
 しかしアリストテレスが彼の倫理学の冒頭で述べているように、厳密性を主題にかなった程度にまでゆるめるということも、倫理学のような、人間全体が問われる領域では必要であるし、他者の受苦という問題系も、問題の性質上、蓋然性たらざるを得ないとしても、現実に他者の苦しみが存在すると考えられる場合には、その問題から眼をそむけないということの方が、現実の「事象」に忠実なのではあるまいか。
(予備校の文章理解のテキストより引用)
抽象的で難解な文章だなぁと思う。
でも、「他者の痛み」については、理解をすることはできなくても、その存在を認め、受け止めることが必要だと思う。
私にその度量があるのかどうかわからないけれど、何かの役に立てることを祈る。
posted by ルゥ at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2005年02月22日

言いまつがい

糸井重里、東京糸井重里事務所、2004年2月刊。

いろんな「言いまつがい(=言い間違い)」を集めた本です。
はっきり言って、人目のあるところで読むのをお薦めできません(笑)
私は自分の部屋で読んで正解だったと心から思います。
2/21・22と2日間で読みましたが、もう大爆笑でした。

装丁からして変わってる本です。
こんな作りの本もできるのかー、というのに驚かされます。
書店には出回ってないらしいですが、南部書籍の方の情報によると、
4月に新潮文庫から出るそうです♪わぁいo(^o^)o
「オトナ語の謎。」も併せて出るそうなので、両方買いたいなー。
posted by ルゥ at 02:51 | Comment(2) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

2005年02月06日

冒険は若者の特権?

L'aventure, c'est le privilège de la jeunesse.
Vas-y, fonce.

ラヴァンチュール、セルプリヴィレージュ・ドゥラジュネス。
ヴァシィ、フォンス。

The adventure, it's the privilege of the youth.
Let's go.

冒険は、若者の特権だ。
さぁ、行こう。

……読みと訳(英訳、和訳)はこれでいいのかなぁ。
fonceは見慣れない言葉だったけど、あとは一応わかりました。
予備校での授業中、斜め前の席の人の鞄に書いてあった言葉が目に入り、メモってしまった(^_^;)

冒険には手がちょっともう出せない気がする、23歳まであと2ヶ月ばかりの私。
posted by ルゥ at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | コトバ。 | 記事編集

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。